欧米とは異なる我が国の癌の病理診断について

南長野医療センター篠ノ井総合病院 病理診断科 川口研二

現在日本の死亡原因の第一位は“がん”です。

多くの人は “がん”は死にいたる怖い病気であると認識していると思います。

一面的には正解なのですが、一口に“がん”といってもその種類や段階、またがんに対する個人の反応は多様であり単純に片付けることはできません。

今回はこの紙面を借りて実際に癌の病理診断する医師として癌の病理診断が欧米諸国と違っている部分があることを知って頂き、癌というものの本質的な一面を理解して頂ければ幸甚です。

令和元年の人口動態統計では男性約22万人の癌死亡は肺癌、胃癌、大腸癌の順で、
女性約16万人では大腸癌、肺癌、膵癌の順となっています。

胃・大腸・膵・・と消化器の癌が多くなっています。
これらの癌診断はほとんどが顕微鏡検査による病理組織学診断によって確定されています。

内視鏡(カメラ)での生検組織、外表からの針生検組織、手術摘出標本組織などを用いて顕微鏡的所見から良悪や病気の進行度を決定し、主治医と患者さんに報告され、最良の治療法が決定されるのです。

現在では顕微鏡検査の形態だけではなく癌組織から抽出した遺伝子情報も合わせ治療法が決定されています。

さて消化管や婦人科の癌の病理診断の一部が欧米と日本で異なっていることを
一般の方はほとんど認識されていないと思います。

“癌”とは病理総論的には自律性増殖する変異した細胞の“浸潤”と“転移”をもって癌とするというのが一般的な定義です。

“転移”というのは癌の発生した臓器と離れた遠隔臓器に流れていきそこに定着し増殖することです。

“浸潤”とは癌の発生した局所で本来の健常な組織構造を破壊し増殖することで、転移をきたす必要条件です。

浸潤のない癌は転移は起こさないというのが医療の一般的なコンセンサスです。

ところがこの“浸潤”の見分け方が問題となって判定にぶれが生ずるのです。

発癌のごく初期は、発生臓器局所の、癌ではない健常な上皮細胞内に発生します。

“浸潤”とは顕微鏡レベルで癌細胞を囲んでいる基底膜という構造が破壊・消失し、生体に反応(炎症反応)が起こった状態と理解されるのですが、実際の顕微鏡標本でこれを確定することが困難なことが結構あるのです。

病理診断医の間で異なる判断、診断を下すことがあります。

特に“管・くだ”(腺管)構造を形成する“腺癌”(せんがん)と呼ばれる組織型は癌細胞そのものが基底膜を形成するため、増殖の速度によっては基底膜の破壊・消失を証明することが困難な場合があります。

また食道や子宮の出口(頸部)にある皮膚と同様の扁平上皮とよばれる上皮内に発生する扁平上皮の癌も同様です。

胃や大腸の腺癌や食道・子宮頸部の癌で粘膜内や上皮内に留まっている状態を粘膜内癌、上皮内癌といいます。

これらは臨床的には早期、初期の癌と認識されますが、これらの多くを日本の病理医は顕微鏡的には部分的に“浸潤”を伴っている、あるいは浸潤する癌と同様の悪性の顔つきがあり浸潤する腫瘍と判定し“癌”と診断しています。

しかし欧米の基準では明確な浸潤の証拠がない腫瘍は癌と診断しません。

前癌状態を現す異形成(デイスプラジア)という言葉を使って区別しています。

この区別方法は多分に欧米諸国の医療保険など社会経済的な影響が強く加わっていると考えられます。

粘膜内や上皮内に留まっている初期の癌が多く発見されれば保険会社が大損害を受けることになるからです。

従って多くの日本の病理医が胃や大腸癌、食道癌、子宮頚癌と診断している粘膜内や上皮内の早期癌病変は欧米では異形成として扱われ、癌と診断されません。

ただ注意が必要なのは自立性増殖し、浸潤する可能性を有する悪性腫瘍の本質は変わらないので放置しておけば次第に腫瘍は大きくなり、“浸潤”し、“転移”を起こす可能性を秘めているのです。

その時期がいつなのかという問いには残念ながら明確に答えられないのが現状なのです。

世界中で広く使用されている、すべての“がん”を診断するためのWHOの病理組織診断基準の手引書がありますが、その内容はほとんど欧米の有名な学者が書いており、日本の診断基準とは異なっているのが実態なのです。

(最近わずかではありますが、日本人の病理学者の意見が取り入れられるようになってきています。)

万が一皆さんが癌と診断されたとしてもその癌がどこに発生し、どういった種類の癌で、
どういった段階なのか、細胞の悪性度はどうなのかということが今後の生命予後に大きく影響します。

早期であれば癌といわれようが異形成と診断されようが治療法は一緒で縮小(内視鏡での切除など)でき、
大がかりな手術をしなくて済む可能性が出てくるのです。

癌で命を落とさないためには早期発見、早期治療が最良の方法です。信頼できる医師による定期的な検診を勧めます。

そして仮に癌と診断されたとしても慌てず、現在の状態を十分説明してもらい、十分に理解して最良の治療法を選ぶことが重要なのです。

もし相談したいことがありましたら、主治医を通じて病理診断医の意見を聞くのもひとつの選択枝と思います。